7月某日。とある映画の上映会が葵区は七間町通り沿いにあるagnès b.静岡伊勢丹店にて行われました。言わずと知れたアパレルブランドのショップです。
上映された作品は、映画ファンの中でもカルト的な人気を誇るデヴィッド・リンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』。1997年公開のアメリカ・フランス合作映画です。
なぜ映画の上映会なのか、なぜデヴィッド・リンチなのか。
その問いの答えをさがしていくと、この街に生きるの若者の『思い』と、この街が目指すべき『未来』に行きつくのでした。
この上映会を企画したのはagnès b.静岡伊勢丹店で働く奥村ひかるさん。1999年生まれです。
今年の2月に店舗にて「ジム・ジャームッシュ」作品のビンテージポスター展を開催し好評を博しました。世界中にファンを持つアパレルブランドということもあり、様々なイベントを実施してきましたが、こういったイベントの実施は国内においては都内にかたよりがちで、今後のブランディングもこめ地方でも活発に発信していきたいとの思いから映画の上映会にたどり着いたそうです。agnès b.静岡伊勢丹店は全国のagnès b.店舗の中でも1・2を争うを広さで、その空間を生かしたイベントとして映画の上映会は必然的であったようにも思えます。また2月のビンテージポスター展の際にもお客様から「ポスターだけでなく実際に映画も見たい」といったご要望があり、会社からも「では上映会を実施してみましょう」と話しが進んでいったそうです。
映画の上映会というカルチャー寄りのイベントはagnès b.全店でも初めての試みということで、かつて映画の街と言われた〝この街〟で行われることに不思議な縁を感じてしまわずにはいられませんでした…。
agnès b.は今年、日本初上陸から40年目の節目を迎える年となります。それに合わせ、過去に発表した10名のアーティストTシャツが日本限定で復刻。そのアーティストの1人が映画監督であるデヴィッド・リンチでした。
ここでつながったワケです。「リンチの映画は万人向けではない」そういった思いがありながらも、だからこそ「こういうお店でやるのもいいのかな」と奥村さんはagnès b.にしかできない試みに自然と自信が湧いてきたそうです。
実際に店舗で映画を上映するにあたり、部屋の暗さを確保するのが困難でした。それもそのはず、ガラス張りで光がふんだんに取り込まれる店舗において、光が入り込まないようにするわけですから、かなりの労力が必要となったことは想像に難くありません。
上映会当日は店舗閉店後18時30分に開場し19時より上映開始。2時間15分の上映は無事に終えることができました。その後、ご来場のお客様と談話する時間を設けたかったのですが、撤収にバタバタしてしまいお見送りのみで終えてしまったことが、奥村さん自身も悔やまれた点でした。
今回、ご来場されたお客様の半数は顧客の方で、それ以外の方はたまたま来店された方にお声をかけさせていただき、興味を持っていただいたとのことでした。
agnès b.は古くからのお客様も多く、今後も愛されるブランドであるために、もう少し開かれた雰囲気を創り出していきたい。どういう活動をしていて、どういうことが好きでこういう服を作ってるということを伝えたい。そういう中での切り口としてのイベントなので、新しい世代のお客様も取り入れられるよう、広告なども含め考えていかなければならない。奥村さんの頭にはすでに次なる構想が見えているようです。
静岡文化芸術大学の芸術文化学科で批評や制作について学んだ奥村さんは、在学中イタリアのボローニャへ留学。そこでの体験が映画を好きになるきっかけとなりました。ボローニャの街には映画のアーカイブ施設がありました。そこでは毎年映画祭を開催したり、映画の保存修復に力を入れていたり、そういうことに対し街全体が理解を持っていて、そういうのは「いいな」という感覚が自然と芽生えました。
この“まち”の歴史自体を自分たちが作っている、逆にそういう市民性がないとダメ。ヨーロッパへ行くとその街それぞれの個性があり、私たちが力を入れているのは《ここ》という主張を感じる。奥村さんが日本では感じることのできなかった感覚でした。
「わたしも日本の〝このまち〟で頑張らなければ」
七間町界隈のこの街はかつて映画の街として隆盛を極めた時代もありました。しかし映画の街として生きていくことができませんでした。「映画館が無くなってしまったから」だけでしょうか。
それは小さな上映会かも知れません。しかしそこには〝このまち〟で生きる若者の未来を諦めないまなざしがあります。人が街をつくり、街が人をつくる。文化も同じです。
この街には文化や人を育てる土壌があることを忘れてはなりません。
agnès b.のようにポリシーを持ってブランドを確立する。そうことを粘り強く続けていく新しい人たちをどれくらい応援できるか。当事者として関われるか。
そこに〝このまち〟の未来がかかっているように思えてなりません。