【vol.7】静岡おまちの地域寄席 七間町寄席

密かなブームと呼ばれる落語。江戸庶民を大いに楽しませたこの娯楽は、令和の私たちにも同じように楽しみを与えています。ただ大都会では頻繁に開催される落語会も地方ではごく稀。全国津々浦々の落語ファンにしてみては少し物足りないでしょう。そこで辛抱切らした好事家たちが自ら噺家さんを呼んで落語会を開いてしまおうと盛り上がります。そうやって落語仲間が集まり開催している地方の落語会を地域寄席と呼んだりしています。

静岡市にも中心市街地で行われている地域寄席があります。現在では「七間町寄席」という名称で年間3回の落語会を定期的に行っています。もっとも静岡市の落語会の歴史は古く、1974年に「しずおか寄席」が始まります。2006年に終えますが、それを引き継いで始まったのが「駿府寄席」です。江﨑ホールなどを定席として2017年まで続きますが、惜しまれて終了します。その間43年、公演回数にして256回という落語会を重ねました。

好きが高じて始まる地域寄席は、その意味で運営者は基本的に素人たち。儲けは度外視、なによりも落語を高座で開きたい、地域の人にも落語を楽しんでほしいという一途な想いが開催の原動力。ただ一身上の都合などの理由で急に開催が立ち行かなくなることもありますが、静岡では運営団体が変わりながらも継続しています。「駿府寄席」の終了時に、長く続いた静岡の落語会の伝統が途切れることが惜しくて、有志たちが集まり2018年に始まったのが現在に続く「七間町寄席」です。

なぜ七間町と名付けたといえば、このエリアが伝統的に静岡市の娯楽の中心地だったから。明治初期に芝居小屋「玉川座」が出来たのがきっかけとなり、大正時代には活動写真、そして昭和の時代には映画館街として一世を風靡したという歴史があります。七間町は実に150年近くエンタメを通じて静岡市民に日々の潤いを与えてきたといえます。その伝統を引き継いでいこうと「七間町寄席」と命名したということです。

                     大正時代:七間町にあったキネマ館

江戸の芸能は地域の人々の支えが大切だったと伝えられています。その中心となるのが地元の名士や旦那と呼ばれた方々。そんな粋な習慣を思い起こして頂こうと、「七間町寄席」では年間サポーターを旦那と呼んでいます。有志で始まった落語会を継続するためにはやはり多くの方の応援は欠かせません。すでに半世紀を経た静岡の落語会の伝統を継続させるためには地域みんなで支えていきたいものです。

落語会ではライブで初めて落語を体験する方が毎回一定数いるようで、みなさん声を揃えて思った以上に楽しかったと笑顔を返してくれるそうです。これはきっと映像では味わえないライブ感によるものだと推測できます。落語家は古典といえども時事ネタを織り交ぜて、ユーモアたっぷりに語ります。この「いま・ここ」でしか生まれないライブ感こそ落語会の醍醐味。ネットでなんでも試聴できる時代だからこそ、逆にこの体験は貴重なのでしょう。歩いていける距離で落語が気軽に聞ける。そんな豊かな機会を創り出す地域寄席はみんなで共有できる大切な財産だと気づきました。